長崎一人旅2日目 長崎市内観光~国宝・大浦天主堂(日本二十六殉教者聖堂)編
長崎一人旅2日目 長崎市内観光~国宝・大浦天主堂(日本二十六殉教者聖堂)編
お笑い 女性 マジシャン の荒木巴です。
朝、宿泊先の方に近くのバス停まで送っていただき、長崎駅へ。
駅からバスに乗って「大浦天主堂下」で下車。
ここから世界宗教史上に残る「信徒発見」の舞台、国宝でユネスコ世界文化遺産でもある大浦天主堂(正式名称・日本二十六殉教者聖堂)を目指します、
世界遺産とは??
※長崎市公式観光サイトより引用
世界遺産は、地球と人類の歴史によって生み出された「世界中のみんなのたからもの」です。これら人類共通の遺産を未来に守り伝えていくために、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は1972年に「世界遺産条約」を採択しました。2014年12月現在、191カ国がこの条約に締結しています。世界遺産とはこの世界遺産条約に基づく世界遺産リストに記載された遺産のことで、その中には「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3つの種類があります。
大浦天主堂とは??
※長崎市公式観光サイトより引用
大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。
聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前に列聖された日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。
1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。
この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。
1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されています。
1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定されました。
また、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつです。
と、世界的にも文化価値の高い建物。
修学旅行の学生もたくさんいました。
荒木は長崎ご当地グルメの角煮まんじゅうを食べながら。笑
日本では珍しいレンガ作りの建物が多く、
異国情緒漂う街並み。
そして、
世界宗教史上に残る「日本の信徒発見」の地、
国宝・大浦天主堂(正式名称・日本二十六殉教者聖堂)に到着。
教皇ヨハネ・パウロ2世像や十字架、
マリア像と、
その一つ一つに重い歴史と豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって1597年2月5日長崎西坂の丘で処刑された26人の聖殉教者達に想いを馳せずにはいられません。
キリスト教と共に歩んだ歴史と長崎の風土が日本であって異国のような独特の情緒を醸し出すのでしょう。
この後は長崎のもう一つの歴史の舞台、長崎原爆資料館・平和公園へ。
次回の投稿へと続きます。