立教大学勉強会 石見神楽「神と人のエンターテイメント」
立教大学勉強会 石見神楽「神と人のエンターテイメント」
お笑い 女性 マジシャン の荒木巴です。
立教大学池袋キャンパスへ。
「石見神楽ー神と人のエンターテイメント」というお勉強会に行ってきました。
以前から興味のある神話と芸能の関係
広島に何度も足を運んで神楽の舞台を生で見てまいりました。
地域に根付く「神楽」という伝統芸能、その進化と、守り抜く情熱。
島根県西部 石見地方を代表する伝統芸能 石見神楽とは?
※島根県浜田市 石見神楽公式サイトより引用
石見地方では、秋祭りの夜になると様々な町の神社で神楽囃子が聞こえてくる。神楽の歴 史は古く、日本神話において天の岩戸隠れの段でアメノウヅメが神がかりをして舞ったと いうのが起源とされ、石見神楽は謡曲を神能化した出雲の佐蛇神能(さだしんのう)が石見地方に伝わり、民衆の娯楽として演劇化されてきたものといわれる。 石見の人々はそんな石見神楽を好み、繰り広げられる舞に酔いしれながら、祭りの日、夜を徹して楽しんでいる。
石見神楽とは
石見神楽の起源は定かではなく近世以前とされているが、文化文政期の国学台頭とともに古事記・日本書 紀を原拠とする神話ものが加わり、演目も豊富で極めて多彩である。
往時、神の御心を和ませるという神職によっての神事であったものが、明治政府から神職の演舞を禁止 する達しが出たことにより、土地の人々の手に受け継がれ、民俗芸能として演舞されるようになった。 そのリズムは、石見人の気性をそのままに、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛を用いての囃子で演じられ、 見る人を神話の世界に誘う。また、石見神楽はその詞章に特徴がある。荘重で正雅な古典的なその言葉は、 里神楽には極めて稀だといわれており、その中に織り込まれた土の香りの高い方言的表現、素朴な民謡 的詩情とともに独特のものをつくりあげている。六調子石見神楽
石見地方山間部、江の川流域を中心とした大元神楽等でみられる、石見神楽の原型と言えるものである。 囃子は比較的緩やかであり、舞手も重心をぐっと落とした姿勢で舞を展開する。特徴的な足のはこびと して「抜き足」といい、腰を浮かせず後ろの足を抜くように上げて前に打ち込むという所作があるが、 これは泥田を歩くかつての労働の動作に通ずるところがあるといわれている。
八調子石見神楽
石見地方の海辺において盛んに舞われているのが八調子神楽である。明治初期、浜田の国学者藤井宗雄、 牛尾弘篤両氏の手により、伝来の神楽(六調子神楽)が大幅に改訂されてできたものといわれており、 速いテンポで囃子、舞手が舞いを展開するのが特徴で、漁業の町であった浜田の人々の気質と合って発 展し、蛇胴の考案、花火の使用、金糸・銀糸の豪華絢爛な衣裳等、様々な革命がなされた。これらは他 県の神楽にも多大に影響を及ぼすこととなる。
時代と共に変革をもたらす伝統芸能
大阪万博での上演を機に石見神楽は全国に知られるようになり、海外公演も幾度も行われ、日本文化の 交流にも一役買ってきた。そのスケールの大きさとダイナミックな動きで絶賛を得た「大蛇」を含め、 演目は 30 種類以上にのぼり、例祭への奉納はもとより、各種の祭事、祝事の場に欠かすことのできな いものとなっており、広く誇れる郷土芸能である。
古くは蛇胴の発明や花火の使用等で見る者の度肝を抜き、昨今では、地域の物語などを神楽化した各社 中ごとの創作神楽や、舞台演出を凝らしたステージ神楽も台頭しており、伝統芸能としては希な広がり を見せてきているのも石見神楽の特徴である。
荒木は2011年の東日本大震災をきっかけに大阪芸大に通って「芸術とは何か?」「芸能は人間に何を与えるのか?」みたいな芸術、文化の必要性を勉強したのですが、
その中で知識もしくは単位の一部として取得した「西洋美術史」がキリスト教という一神教の基に築きあげられてきた歴史に対して、ギリシャと日本における多神教の芸能文化が個人的に非常に気に入っていまして、
酒を飲んで酔っ払っては笑い、嫉妬で狂い、時に岩に閉じこもってみては外が楽しそうなので覗いてみる、、そんな人間に近い、、なんとなく人間臭い神様がたくさんいる日本に生まれてきてよかったなーと思います。
もちろん、一人のカリスマに狂信的となって一致団結するのも一つの考え方で、そちらの方がもしかしたら、、世界的にスタンダードかもしれません。。が、、人間らしい神様、、変わりやすい自然、、その凶暴さと恩恵と、温かさに振り回されながら自然と共に生きてきたギリシャや日本の島国ならではの思想なのかな?と。
そして、また、愛する一人のために鬼と化す、、その人間故の業の深さ、西欧でのアダムとイブから受け継がれる原罪を芸として昇華できればと私もまた思うところでございます。