女性マジシャン鹿児島一人旅⑥知覧特攻平和会館
女性マジシャン鹿児島一人旅⑥知覧特攻平和会館
お笑い 女性 マジシャン の荒木巴です。
鹿児島ぼっち旅2日目。
1日目は鹿児島空港から桜島を少し観光して、夜に枕崎へ。
翌日は本土最南端の始発終着駅「枕崎駅」に行き、
目的地のバスが来るまでの待ち時間で戦時中に大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦大和が眠る海域が望める火之神公園へ。
そして、
午後からは知覧へと向かいました。
そう、今回の鹿児島一人旅は平和を考える旅になります。
知覧特攻平和会館までの道のり
枕崎から知覧に到着。
ここから400メートル先の知覧特攻平和会館まで歩きます。
もはや、何もかもが特攻と結びついてしまういけない思考回路になっています。
このポイ捨ては町を綺麗にしようということなのに。
そんな気持ちで知覧特攻平和会館までの道を進みます。
私は大阪芸大で博物館学芸員の資格課程も履修したのですが、この博物館まで行く道のりの中で色々と戦争や平和について思いをはせる。。
戦争について考える時、
今現在のこの平和な風景を心に刻むこと、
大切なことだと思います。
そして、
戦火から長い時を越えて、
多くの涙と汗の上に美しい緑が茂っていることを忘れてはいけないと感じるのです。
知覧特攻平和会館までに出会うたくさんのメッセージ
普段何気なく見ている標識でさえも何らかのメッセージではないかと、この土地に来ると感じてしまいます。
特攻おばさんの店「知覧茶屋」
特攻おばさんの店「知覧茶屋」に到着。
特攻おばさんの店「知覧茶屋」
※知覧茶屋 公式HPより引用
知覧茶屋は、特攻の母「鳥濱トメ」の味をそのまま引き継いだお店です。
ここ知覧には大東亜戦争末期、陸軍特別攻撃隊の最前線基地がありました。ここから飛び立って行った多くの特攻隊員の方々をお見送りし母親のように慕われた鳥濱トメが振る舞った味そのものを今に受け継ぎ、実の孫である鳥濱明久が、ここでしか味わえない”本物の味”を特攻平和観音堂すぐそばでご提供しています。
特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの孫である鳥濱明久さんが店主となってトメさんの味を今も伝えているお店です。
特攻の母 鳥濱トメとは?
※ 知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会HPより引用
18歳で鳥濱義勇と結婚、昭和4年・27歳のときに鹿児島県知覧町で「富屋食堂」を開業。
大東亜戦争に突入した翌年昭和17年には陸軍指定食堂に選ばれ、多くの飛行兵が訪れることとなりました。それは知覧に「大刀洗陸軍飛行学校知覧分教場」が誕生していたからでした。
知覧は戦争末期、航空機に250キロ爆弾を抱えて敵艦に体当たり攻撃を敢行する「特攻隊」の最前線基地となり、昭和20年3月からは毎日のように沖縄へ出撃していきました。その出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごした隊員たちはまだ10代から20代の若者達でした。
トメは隊員らをわが子のように慈しみ、私財を投げ打ってまでも親身に接しました。いつしか、「特攻の母」と呼ばれるようになっていました。6月頃には知覧からの出撃もほぼ終焉をむかえ、それからわずか2か月後の8月15日に日本は終戦を迎えました。特攻隊のことを絶対忘れてはならない
終戦直後、トメは飛行場跡地に1本の棒くいを立てて「これがあの子たちのお墓だよ。」と、2人の娘たちにそう言うとそれから毎日欠かさず通い、手を合わせ続けたのです。戦中は「軍神」と呼ばれ神様として崇められた特攻隊員たちでしたが、敗戦とともに世論は一変し世間の風当たりはものすごい逆風となりました。生き残った特攻隊員は「特攻くずれ」と呼ばれ、軍国主義の象徴などとさげすまれることになります。命を懸けて国や国民を守ろうとした彼らを・・・。
それでも、世間の風向きに関係なく鳥濱トメは長い間にわたって特攻隊に対する慰霊の心と、平和の尊さを命懸けで誠心誠意伝え続けました。トメは時の町長に再三に渡り働きかけ、飛行場跡地に観音堂が建立されました。終戦からすでに10年が経っていました。しかし、観音堂は建ちましたが最初は誰もお参りに来ない。このままでは観音堂が建ったのに特攻隊のあの子らがうかばれない。トメは毎日通い続け、さらに近所の子供らに観音堂のお参りをさせ、掃除をさせてお菓子を配り、語り続けました。未来ある子供たちに伝えていくことは非常に意味のあることでした。トメは、晩年脚を悪くして杖をついていましたが、雨の日ともなれば、片手に杖、もう片手にはお供え物やお花を持っておりましたので傘が差せず、高齢となったトメにとってはまさに「命懸け」での参拝となりました。それでも、トメはどんな時でも参拝しない日はありませんでした。今では毎年5月3日に「知覧特攻基地戦没者慰霊祭」が執り行われ、全国から1000名余の参列者が訪れます。トメは、平成4年4月22日、89歳で隊員たちのもとへ旅立たれました。
散るために
咲いてくれたか
さくら
花
ちる
ほど
ものの
みごと
なり
けり
私の好きな日本映画の一つに木下惠介監督「陸軍」があるのですが、この映画のラストに田中絹代さんが演じるお母さんが口では「お国のため」と言いながら、本心では息子を死なせたくないという母の気持ち、、切なくなります。
知覧はお茶が名産のようで、懐かしい急須のモニュメントもありました。
そんなこんなで歩を進めて、
知覧平和公園に到着。
知覧平和公園
特攻平和会館までもう少しです。
知覧特攻平和会館周辺の案内地図もありました。
実際に使用されていた弾薬庫や訓練施設の他、知覧飛行場の滑走路跡もあります。
ここから多くの若者が戦地へと飛び立っていったのです。
特攻像
「とこしえに」
母の像
「やすらかに」
飛行機も展示されていました。
一式戦闘機「隼」(レプリカ)
先程の知覧茶屋でご紹介した特攻の母(知覧茶屋はお孫さんが経営)鳥濱トメさんの視点から描いた映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で忠実に再現された一式戦闘機「隼」のレプリカ。
残された女性の立場からのお話は以前に爆笑問題の太田さんが話されていたラジオでのトークを思い出しました。その女性は戦地へ行く旦那さんとの最初で最期の夜にまだ10代と若かったこともあり、綺麗な自分を覚えていてほしいとお気に入りの服を次から次へと着替えてファッションショーのようなことを一晩中しました。夫婦らしいことを全くせず、旦那さんはその様子を見ながら「国のために死にたくない」と言い、女性は「なんでそんな恐ろしい事をいうのか」という返事。旦那さんはそのまま戦地で亡くなりました。。「あの人は国のために死んだのではなく、私のために戦地に行った。あの時、カッコ悪くてもいいから(非国民と周りから白い目で見られてもいいから)生きて帰ってきてと言えていたら、、」と、そのことをずっと悔やんでいる女性の話が印象深く思い出されます。お名前も忘れてしまい、うろ覚えの書き方で恐縮なのですが。。8月15日という日を境に信じていた正義が全て反転したというお話。
一式戦闘機「隼」
※歴史旅専門サイト「HISTRIP」より引用
第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。愛称は隼。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で忠実に復元された陸軍戦闘機。
知覧特攻基地から120機が飛び立ちました。
航空自衛隊別府北基地(山口県)で平成17年まで実際に使用されていた初等練習機。
飛行学校「知覧教育隊」の門柱
そして、知覧特攻平和会館に到着
知覧特攻平和会館
知覧特攻平和会館
※南九州市役所HPより引用
第二次世界大戦末期に陸軍特攻基地が置かれた地・知覧。
旧飛行場跡地に建つ「知覧特攻平和会館」は,沖縄戦で人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりして亡くなられた陸軍特別攻撃隊員1,036名の遺影・遺品・遺書・家族に向けた手紙・戦闘機など歴史的価値の高い貴重な資料を収集・保存・展示しています。
施設内は撮影できなかったので、
外の碑石を少しだけ。
先程の特攻の母、鳥濱トメさんの視点から描いた映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の脚本・製作総指揮をされた
石原慎太郎氏の記念石碑。
こちらも知覧特攻を舞台にした映画「ホタル」の石碑。
この映画「ホタル」の舞台になったのが今まで何回も出てきている鳥濱トメさんが経営されていた食堂「富屋食堂」なのです。(知覧茶屋はお孫さんが経営)
ホタル館「富屋食堂」
※富屋食堂HPより引用
富屋食堂は、特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」の食堂でした。
鳥浜トメの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真をおりまぜ、ともに暮らした赤羽礼子の証言により、当時の場所に再現いたしました。
隣接する富屋旅館は、戦後昭和27年、遺族を知覧に泊めるために作られたものです。
色々とご紹介させていただき、映画や本、旅行を通して、戦争や平和を考えるきっかけができれば幸いです。大切な人の命がたくさん失われた歴史ですから考えたくもない方も多いとは思いますが、平和な現在の幸せは歴史の上に成り立っています。今の平和に感謝して、次の世代へと受け継いでいきましょう。
最後に笑いは緊張と緩和で成り立っているというのはご存じの方も多いと思います。では、究極の「緊張」と「緩和」を考えた時、緊張は戦争(WAR)で緩和は愛(AI)、この二つが合わさるとWARAIになるというのはかなり好きな小ネタです。
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