今戸・長昌寺様にて柳家我太楼師匠の落語会
今戸・長昌寺様にて柳家我太楼師匠の落語会
お笑い 女性 マジシャン の荒木巴です。
東京都台東区今戸にある歴史あるお寺・深榮山 長昌寺様にて
柳家我太楼師匠の落語会にマジックで出演させていただきました。
ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。
観音堂でのマジックショー、ありがたい限りです。
長昌寄席 番組表
開口一番 柳家寿伴さん
色物 荒木巴(マジック)
江戸家子猫先生(動物モノマネ)
そして、中入りがあり、柳家我太楼師匠の落語でお楽しみいただきました。
浅草寺といえば、628年に隅田川で網にかかって見つかったとされる一寸八分の観音菩薩像が有名ですが、、実は浅草寺にはなく、観音様はこちらの長昌寺にあるということ。
一寸八分の観音さま
飛鳥時代のころから人びとの厚い信仰が寄せられた観世音薩像。閻浮壇金(黄金仏)。立像像高一寸八分 ( 約六糎弱 約5センチ5ミリ )
古銅の宝塔に安置される弘安二年(一二七九)、浅草寺三世であった日寂上人(寂海法印)が日蓮宗に改宗して浅草寺を立ち退く際に帯出した尊像と伝えられる。
※浅草寺のご本尊は秘仏とされ、誰もその姿を見たことがないことから様々な憶測が飛び交っているようです。
また、長昌寺様は毎月18日の観音様の例祭に十数名の僧侶による加持・祈祷を受けることができる日蓮宗の都内唯一のお寺でもあります。
平成版・招き猫発祥の地 今戸神社
今回出演させていただいた長昌寺から5分程度のところに、
平成版・招き猫の発祥の地として有名な今戸神社があります。
縁起物コレクターの私、
せっかくなので、行ってきました。
※今戸神社は結核を患っていた沖田総司を診ていた医師の松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことから「新撰組・沖田総司の終焉の地」ともいわれています。
平成版・招き猫発祥の地 今戸神社
※以下、wikipediaより引用
武江年表嘉永5年の項の記述によれば、浅草・花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の>7人形を今戸焼の焼き物にして浅草寺境内三社権現(現 浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。(今戸焼 丸〆猫 参照)
これが招き猫の発祥といわれている所以であるが、これは浅草寺や浅草神社に由来するものとしての記録であり、今戸神社(旧今戸八幡)との結びつきを示すものではない。平成の招き猫ブームのと縁結びパワースポットのブームに乗り、自ら招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになったが、本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治由来の今戸焼の招き猫とは何ら関係のないものであり、考証的には伝統的なものとは全く関わりのない平成の産物として見る必要がある。
境内には、
至る所に招き猫、
絵馬も招き猫、
可愛い絵馬ですが、じっくりと見ると奥深い人間ドラマが展開されています。
まるで、招き猫ミュージアムのように、
たくさんの招き猫に囲まれ、
今戸神社は縁結びとしても有名のようで、人力車での観光スポットにもなっていました。
ご本尊にも
多くの招き猫が、、
あれ!?いや。まさか!!
いや、、しかし、、
招き猫と共に祀られている猫が、、
今年の干支が戌年ということで新年会の時期に大活躍していた荒木愛用の狛犬に似ているような。。
まさか、、マジシャンのコレクションと同じものが神社に「猫」として祀られているというのは考えにくいので、、似て非なるものだと思いますが。笑
そんなこんな思考している間に、
参拝の時間は終了し、長昌寺へ。
美味しい中華屋さんでの打ち上げにも参加させていただきました・
長昌寺寄席の出演者で一枚。
お声がけいただきました柳家我太楼師匠、ありがとうございました。
まだ先ですが、来年3月3日にも柳家我太楼師匠の落語会に出演させていただきます。近くなりましたら、告知させていただきますね。
次回またご一緒する日を目指し、頑張ります!