結婚式で余興マジック前乗り③ 鹿児島・桜島古里町
結婚式で余興マジック前乗り③ 鹿児島・桜島古里町
お笑い 女性 マジシャン の荒木巴です。
翌日に熊本で行われるブライダルパーティの余興マジックショーで九州に前乗り。
出張マジックの前日がオフで、こちらで航空券などのチケットを手配する場合はなるべく前乗りするようにしています。旅行が好きなのと天候などで当日に飛行機が飛ばないなどのアクシデントの予防のためです。
※前乗り分は心配性なだけなので、こちらの経費とさせていただいています。
東京から鹿児島に到着して、魚市場で海鮮丼を食べて、桜島へ。
鹿児島港からフェリーに乗って、桜島に到着。
フェリーから見える桜島港
穏やかな町並み
活火山もぐっと近くになりました。
フェリー乗り場からすぐの月讀神社
レンタカーや自転車も借りることができます。
荒木はバスをチョイスして、いざ!桜島観光へ。
バスの車窓の景色に癒やされつつ、15分くらい乗っていると
噴煙を上げる火山へと近づいていきます。
今回の目的地「文学碑前」で下車
桜島と古里公園の案内の看板、
そのお隣の階段を上って、
階段の途中には与謝野晶子さんの歌碑もありました。
桜島わが枕よりやや高く海に近かる夏の月明
与謝野晶子さんと鉄幹さん夫妻は昭和4年7月22日に鹿児島入りしています。
与謝野晶子
※古里公園~林芙美子文学碑~より引用
1878(明治11)~1942(昭和17)大阪府堺市生まれの歌人、詩人。
少女時代から古典文学を好み、与謝野鉄幹の主宰する新詩社の社友となって作家活動に入った。
1901年刊行した歌集「みだれ髪」によってロマン主義に新風を投じ、短歌革新の担い手となった。
「小扇」「舞姫」などの歌集の他、「新釈源氏物語」などの現代語訳も有名である.
こちらは水原秋桜子さんの句碑
火の山を負ひ立つ碑なり草紅葉
水原秋桜子さんは昭和29年10月19日にこの文学碑を訪れています。
水原秋桜子
※古里公園~林芙美子文学碑~より引用
1892(明治25)~1981(昭和56)東京生まれの医師。
俳句の指導を高浜虚子に受け、1928年「馬酔木」を創刊し、新興俳句運動を推進した。
定型を守りながらも新鮮な感覚を生かした俳句作りを行った。
句集に「新樹」「波の群」、評論に「俳句の本質」などがある。
階段を上りきって、進んでいくと少女時代の林芙美子さんの像がお出迎え
初演から死去まで2017回の公演を務めた森光子さんのでんぐり返しでもお馴染みの「放浪記」の著者、林芙美子さんは 母親は桜島のこちら古里町で暮らしたことがあり、芙美子さんも桜島の大爆発があった大正3年(1914年)から約1年間をこの古里町で過ごしたといわれます。
林芙美子とは?
※新潮社HPより引用
1903-1951 福岡県門司区生れ。1918(大正7)年尾道高女に入学。
1922年卒業すると愛人を追って上京。翌年婚約を破棄され、日記をつけることで傷心を慰めたが、これが『放浪記』の原形となった。
手塚緑敏という画学生と結ばれてから生活が安定し、1928(昭和3)年「女人芸術」に「放浪記」の副題を付けた「秋が来たんだ」の連載を開始。
1930年『放浪記』が出版されベストセラーとなる。他に「風琴と魚の町」「清貧の書」「牡蠣」『稲妻』『浮雲』等があり、常に女流作家の第一線で活躍しつづけた。放浪記とは?
※新潮社HPより引用
第一次世界大戦後の困難な時代を背景に、一人の若い女性が飢えと貧困にあえぎ、下女、女中、カフェーの女給と職を転々としながらも、向上心を失うことなく強く生きる姿を描く。
大正11年から5年間、日記ふうに書きとめた雑記帳をもとにまとめた著者の若き日の自叙伝。
更に階段を上っていくと
活火山を背景に林芙美子さんの文学碑と成人した芙美子さんの像が現れます。自然の迫力と波瀾万丈な人生を送った女流作家の言葉、圧巻のコラボレーションです。
文学碑には林芙美子さんが好きだった有名な言葉
花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき
が刻まれています。
ベンチに座った幼少期と本を持った成人した姿、波乱な林芙美子さんの人生に思いをはせます。
どんどん上へと上っていきます。
ここ古里町と鹿児島フェリーをつなぐバスは1時間半に1本しかないため、観光も大急ぎです。
林芙美子さんの文学碑がある桜島古里町での観光ブログ。
後半はまた次回。
全国各地で出張マジックご依頼受付中です!
日本で唯一のお笑い 女性 マジシャン 荒木巴をあなたの町に呼びませんか?
イベントやパーティの余興、子供会のマジックショーなど全国各地に出張いたします。
GWイベント 夏休みイベントなどなどのマジックショーのご予約を受付中です。